旅行は嫌いだった。家でゴロゴロしていたい。まとまった休みの取れる時は、本屋へ行って、休日の長さと本の量をくらべながらの本選びが楽しみだった。結婚したら、横にいる奥さんが「旅行に行きたい、行きたい」とたえずつっつくので、ニューヨークにいくことにした。ニューヨークの観光名所はひととおり回ろうと決めていたので、途中、街で本屋を見つけても、中へ入る時間もなかなか取れない。57stのホテル近くの大きな店に入ったのは、ニューヨークに着いてから4日目の夜だった。
 

入口近くでいきなり大声で「カバンは持って入るな!ここにあずけろ」と、もちろん英語で言われ、びっくりさせられたけど、中に入れば本屋は神戸も福岡も東京もニューヨークも同じだ。何冊でも手にとって、開いて、読んでいい。こんなののはもう本ぐらいしか残っていない。

 

 次の日は、グリニッチ・ビレッジにあるForbiddon Planetという有名なコミックの専門店にいった。店はビルの1階。ショーウインドウーには怪しげなコミックのキャラクター人形、怪獣や怪人のゴム製の面ばかりで、とても本屋には見えない。

 今年の春に「Ahaスペシャル」として「Wonddrous comics'91」という、日本と外国のアートコミックを集めた本が出版された。初めて読んだエンキ・ビラルの作品「罠の女」の絵の密度の高さと、ストーリーに驚いてしまった。探し回って彼の古い作品は数点手に入れたが、「罠の女」も作品の1部分の翻訳だったし、外国にはもっとすごいコミックを描いている作家がいるかもしれないと、ニューヨークに来たら、ぜひコミックの専門店に行ってみたかった。

 

 店の中は広かったが、アメコミと呼ばれる、例の薄い本の量が圧倒的で、マイナーな作家やヨーロッパの作家の本、またハードカバー本は思ってたよりも少ない。期待していた未知のすごい作家は見つからない。アメリカにはコミック雑誌は少ないと知っていたが、A5版の小さな雑誌「RAW」を見つけた。 これはマイナーだけれど個性的な絵と知的な話を描く作家を集めたニューヨーク版「ガロ」だと思いうれしくなった。判形や内容からいえば「夜行」か。

 

 

 感激しながら頁をめくると、つげ義春が現れて驚いてしまった。名作「大場電気鍍金工業所」が英訳されて「RAW」に掲載されていたのだ。こんな所で、つげ義春に出会うとは思ってもいなかった。つげ義春は、世界中のマイナーな所にはどこにでも現れるのだ。今フランスにもパリ版「ガロ」があったりして、「ねじ式」がフランス語でブツブツいってるのかもしれない。

(初出・1991青山ブックセンター発行「ABC JOURNAL」

 

 P.S. 10数年前に書いたものですが、一部間違いを除きそのまま再録します。
その後「RAW」に連載されていたアート・スピーゲルマンのコミック「マウス」は単行本として発売されベストセラーになりグッテンハイム賞を受賞した。日本では晶文社から翻訳、出版された。「RAW」もまた多くの人に知られた。

 それから、ある日「つげ義春を英語に翻訳してアメリカで出版したい」と言うアメリカ人青年から電話をもらい、僕の家に一泊してもらって話しあったことがある。フィル君と言う高校を卒業して日本に来て、つげ義春の作品にであった青年だった。その後彼は大学に進むためにアメリカに帰ったと聞く。アメリカで「つげ義春」を出版したいと言っていた彼の夢は、どうなったろう。

 

 ぼくはForbiddon Planetで「RAW」を見つけたとき、どうしてそのまま編集部にいかなかったのか(住所はすぐ近くだったのに)後でちょっと後悔した。

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ニューヨークでつげ義春にであった

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