●伝言板Vol.5
●上が新しいという形です。


私が44才ですから、彼女は今45、6才のはずですね。

昭和48年から53年まで弘前にいたのですが、弘前でのコンサートに来た時、
歌いながら涙を流す姿が印象的でした。
新宿ロフトや、少し後になりますが池袋の黒テントにも行きました。
数年前、黒テントでのコンサート姿がテレビ放映されていて、夢中で録画しました。
でも最後に会ったのは確か15年ほど前、いわき市でのコンサートでした。
人が集まらず小さな喫茶店でやることになったのですが、一番乗りした私を気遣
い主催した店のご主人が森田童子に紹介してくれました。
自分の歌にかなり自身を無くしているような事を言っていたと記憶しております。
コンサートが終わった後も打ち上げには出ないで、近くのホテルで休んでいたら
しく、皆で探しました。
結局探し当てて駅まで送ったのですが、光栄にも送る途中ギター持ちをさせても
らいました。
このとき始めて彼女の素顔も見ました。
そして今、突然私たちの前から去った彼女は今何処で何をしているのでしょうか。
もう一度、あの時代の新しい歌と詞を連れて戻って来てくれることはないのでし
ょうか。

大和田 潔

はじめまして。

森田童子との始めての出会いは高校生の時、訪れた東北のYHでみんなで飲
んだ夜、YHの人のラジガセから延々流れていた「good Bye」のテープでした。

あの飛行機のジェット音が印象に残り、中古レコード屋でコツコツLP全て
揃えました。

あの頃も今もロックを中心に聞いていますが、彼女の声と世界に打ちのめさ
れました。

その後、「ラスト・ワルツ 」か「夜想曲」の頃かはっきり憶えてませんが
「ぴあ」でSTAFF募集の告知を見つけ何度かワーナー・パイオニアに通いま
した。 警察の目をかいくぐって町中にあのチラシを貼ったり、電話でLIVE
の案内を出したりしました。

ロック・ミージシャンの中にもいわゆる「隠れファン」もいて、テープの貸し
借りをしていました。特にPUNK/NEW WAVEファンに多かった。

もう10年以上前の話です。

=== === === === === === === === === === === =
鈴木 康之
mailto:y-bell@stones.com

久しぶりに手紙を出します。
誰もいない会社はとても静かで、
家族の寝息を遠い夜の向こうにおいて、
つい一人で、手紙を書いています。
前回自分が出した手紙の後に、
いろいろな人が出した手紙を読みながら、
昔のことを思い出しながら夜だけがふけていきます。
本当にたくさんの人たちが、
今でも彼女のことを心の中に、
大事に持っているのだと思うと、
冬の夜空が、一層すきとおって、
見えるようです。
僕らが初めて彼女の声を聞いてから、
もうずいぶんと長い時が流れ、
免許証の年齢ばかり重ねてしまったけれど、
心の奥底にある、あの頃は、
今でも思い出すことができる。
でも、あの時すぐそばにいた人は、
もういない。
それでも、進んでいく時に身をまかせ、
明日のことを考えている。
すみません、こんな事しか書けませんでした。
もう子供もできて、
相変わらずです・・・

MST@Fukuoka

 いろんな人が、いろいろな森田童子の体験をしていること、しっかりと伝わっ
て来ます。
 ある人はLPレコオドの時代から知っているし、ある人は「高校教師」というテ
レビドラマの主題歌になったから知ったし。
 そういえば「ピラビタール」って何なのか聞いている人が伝言板にいましたね。
「〜全曲集」に書いてありましたが、薬物の一種らしいですね。どんなものか僕
はよく知りません。
 でも、そんなものですら歌になっているのですね。ハイミナールやフジミナー
ルに含まれるキナゾロンのことは聞いたことがありますが、ピラビタールは知り
ません。
 僕が進学で東京に出た頃は、既に新宿駅の植込みはなくなっていましたし、ハ
ヤリはネルボンでしたし。まあ、知らなくてもよかったんですけど。
 森田童子の世界にはいろんなものが詰まっている、そんな気がしますね。僕は、
当時、どちらかというと音量の大きいバンドの音を好んで出していましたけど、
ふと、アパートに帰ると、誰かが部屋に入り込んでいて、森田童子をかけていた。
そんな思い出が多いです。どうも、部屋の鍵をかけるのが嫌いだったんですね。
 今でも、実は家に鍵をかけることって嫌いなんだな。

破目仙人(佐野高久)
NBE02167@nifty.ne.jp

僕が初めて森田童子を知ったのはいつの頃だったんだろうか。ロックバンドに一
生懸命で、毎日というくらいレコード屋に立ち寄っていた高校時代、店頭で見た
んだと思う。1970年代も最後に近い頃。今僕はその頃の倍の年齢になっている。
そして、なんとなく印象に残っているレコードジャケットの顔の人物が、実際に
僕の目の前に存在することになった。そう、1979年。夏はもう過ぎていたと思う。

僕の住む松本市には、市民会館の他にいくつかコンサートができる施設があった。
パイプオルガンまで備えた本格的なホールも完成したばかりだった。
そんないくつかある施設の中で、僕が最もその頃なじみがあったのが中央公民館
だ。明治以前は松本城のお堀だった川沿いに四柱神社というのがあって、その神
社の境内の一部でもあるかのように建てられた、コンサートホールとしてはさほ
ど大きくもなく恵まれてもいない施設だ。なんか主流からはずれた、場末の演芸
場といった感じだった。
当時、市の職員が有志を募って「音楽を愛する若者の会」という活動をやってい
て、月に一度定例の演奏会が中央公民館で行われていた。僕も何度かステージに
立ったことがあったし、川沿いの商店街にもよく買い物に来ていたので親近感が
あった。

ある日僕は、神社の神殿の前を横切って、中央公民館前の小径を歩いていた。そ
こに彼女がいた。爆発したようなカーリーヘアーにサングラス。端整な鼻筋で、
黒い長いコートを着込んだ年齢不肖の女性が、小径の脇の玉砂利を踏んで中央公
民館へと入っていこうとしたところだった。彼女は―そうコートで体形はわから
ないしスラックスを履いていたけどすぐに女性だとわかった―すれ違いざまに軽
く頭を下げ、建物の方へ歩いていった。一目でマーチンのものとわかるギターケー
スをぶら下げていた。
「どこかで見たことあるなあ」。そう思って目で彼女の歩いて行った先を追った。
『森田童子コンサート』という、顔写真入りでモノクロの地味なポスターが目に
入った。どうしてか「もりた・どうじ」という女性らしからぬ読みを、その時の
僕は知っていた。伝奇的な物語が好きだった僕は「酒呑童子」だとか知っていた
ので、そう読んだだけかもしれないのけれど。

その時はコンサートを聴くということはしなかった。何か他に用事があったのだ
と思うし、高校生でそんなにお金も持っていなかった。だけど、これから演奏を
する人が一人で会場の脇の寂しい神社の片隅にいたのも何か不思議な気がしたし、
何よりも、軽く頭を下げて通り過ぎた女性の雰囲気が、何故か印象に残った。

それからしばらくして、僕は行きつけのレコード屋で『聖カテドラル大聖堂』を
買った。レコード屋のあんちゃんは「いつもギャンギャンしたロックばかり買う
お前さんが、宗旨替えかい」とからかった。

ロックやR&B系は相変らず好きだったけど、愛聴するレパートリーに『森田童子』
が加わって、僕は進学のため松本を離れた。

結局、実際に彼女が歌う姿は数回しか見に行かなかったし、チラシはもらったも
のの『森田童子を支持する会』にも入ることはなかった(郵便物をちゃんと投函
しないズボラな奴だっただけで、申込書は書いたんだけど…)。
ただ、東京ローカルのテレビ局で、森田童子のドキュメンタリー番組を見たこと
がある。学生寮のテレビを持っている先輩の部屋に、いつも何人かがたむろして
夜更かしをしていた。他の人はチャンネルを換えようと言ったけど、頼み込んで
わがままを通した。

きっと僕は、松本の場末の演芸場のような中央公民館の前の小径で、神社の境内
の玉砂利を踏んで僕の前を通り過ぎた、真っ黒気な服装の不思議な雰囲気の女性
に恋をしてしまったんだろう。
だから今でも切ないような、それでいてどこか甘い気分で森田童子のことを、淡
いけど心の奥深いところに染み込んだ思い出として持ち続けているんだと思う。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
第38回日本SF大会「やねこん」スタッフ
破目仙人@空相庵.信州/松本(NBE02167@nifty.ne.jp)
◆ 佐 野 高 久 ◆
空 相 庵URL=http://www.vimage.co.jp/~kuu-soan/
空 相 房URL=http://www.vimage.co.jp/~kuu-soho/
E-Mail=kuu-soho@vimage.co.jp
やねこんURL=http://member.nifty.ne.jp/yanecon/
ポスペ 専用=kuu-soan@vimage.co.jp
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 はじめまして。
 このページは、たまに覗いてました。
 中尾幸世さんの名前が見られるとは。
 残念ながら、録音はしてませんが、私が覚えてるのは、北村想と共演してた化石や
日記が出てくる話です。途中から聞いたので、さっぱりわけがわかりませんでした。
タイトルも忘れました。が、森田童子の曲がたくさん使われてて、エンド・テーマが
「ラストワルツ」
 最後に配役を聞くまで、森田童子本人が出てるのだと思ってました。
 最近は、中尾さんのお声も聞きませんね。

 森田童子をはじめて知ったのは、「ラストワルツ」が出たときで、地元のFMで3
曲くらい聞きました。「夜想曲」が出たときのNHK−FMは聞いてました。いまで
も思い出せるところもありますし、「雪よ降れ」と「僕は16角形」はそのとき以来
頭から離れなくなりました。そのとき買わなかった「夜想曲」は、CDになってよう
やく聞けたんですが、それに先立つ5年くらい、中古レコード屋をかなり回ったもの
です。
「夜想曲」は、いまでも車に乗せてよく聞いてます。
「夜ノ魂号」

こんにちわ

私も森田童子のファンです。
自分のホームページで彼女のファンであることを
ふれているせいか、TING LEEさんからメールがきました。
英語なのであわててしまいましたが、
それほど詳しいわけではないので、
童子のサイトがないかと探してたどり着きました。
伝言板のページがとても熱いので、僕も何か書きたくなりました。
僕は、今43才、童子との出会いは、ラジオで「さよならぼくのともだち」を聴いて
LP レコード「グッド・バイ」を買ったのが20才だった。大学1年だったと思う。
高校時代、フォークソングが好きで、友部正人のまねして歌ったりもした。
いつしか学生運動というか、新左翼運動のシンパになっていた僕は、
1年の秋、初めて、デモに参加した。たった 20人程度のジグザグデモだった。
その後、いろいろやったけど、3年の時には、たったひとりぼっちになってしまったし、
自分の弱さみたいなものを自覚して、急激に運動から遠のいて、ただの受験生になっていた。
絵描きになるんだという言い訳みたいなものを用意して、美大を受験した。
ことごとく落ちて、浪人。
東京に出て、予備校へ通ったけど、1ヶ月もしたら、昼夜逆の生活になり、
ラジオと本を友に、最低の生活を1年おくった。
どうにか、教育大系の美術科に入って、毎日遊び、酒ばかり飲んでいたけど、
ふいに童子の声が僕をおそった。それ以来、離れられなくなった。

僕なりに童子の情報というか、お願いを
何年か前、NHK FMのラジオドラマFMシアターで、何度か童子の歌が、挿入歌に使われた。その時の作品を録音した方がいたら、ダビングしてほしいのですが。
覚えているのは、つがわいずみ作品で中尾幸世主演「広場 まぼろし」。その他にもあったと思います。
僕は、中尾幸世のファンでもあり、たぶん童子が好きなら、彼女も知ってるという人がいると思うんだけど。

自分のホームページに自分の作品載せています。
よかったら、見てみてください。

http://www.bekkoame.ne.jp/^t.terui/
よろしく。

HI!

MY NAME IS TING LEE,I 'M FROM TAIWAN.
I LOVE森田童子'S MUSIC VERY MUCH,ALTHOUGH MY
JAPANESS ISNT' WELL,
I CAN GUESS HER LYRIC,WHAT SHE WANTS TO TALK
ABOUT.
IT'S HARD TO GET HER MUSICAND INFORMATION IN
TAIWAN.

I'M HAPPY TO FIND YOUR SITE AND KNOWING SO MANY
PEOPLE ARE HER FAN.
BUT I CAN'T READ THE CONTENT IN YOUR SITE.
SO,COULD YOU TELL ABOUT 森田童子'S HISTORY? HER
PROFILE?
IS SHE ALIVE? WHY SHE STOP SINGING SINCE '80 ?

I'M LOOKING FOR HER INFORMATION FOR YEARS,I'VE
ASKED FRIENDS IN JAPAN,
BUT I GOT NOTHING.
HOPE YOU CAN HELP ME TO KNOW 森田童子.
THANKS VERY MUCH!

BEST REGARDS FROM TING LEE ,IN TAIWAN.

私は、現在28歳の男性ですが、このホムべジがあることを
知りませんでした。
現在、すべてのCDを保有しており、私のギタでいつも引いております。

以上です。

 学生時代に池袋や阿佐ヶ谷のライブ
ハウスにぴあをなめるように調べいき
ました。
時とともにレコ−ドもどこかにいって
しまいました。今彼女はどうしている
のでしょうか?

品田信昭さま

 はじめまして。
 童子&当研究所ファンの金太郎です。
 私も「森田童子自選集 友への手紙」を所有しており、購入当時、MCのあの
部分が気になって調べたことがあります。恐らく間違いはないと思いますので、
お知らせします。

 ○○○○○○○○は、岸上大作(きしがみだいさく)です。
 この人は、歌人で60年安保闘争に身を置き、20歳の若さで自○により亡く
なっておられます。あまりにも悲しすぎて…。もっと詳しくお知りにないたい場
合はサーチエンジンで‘岸上大作’をキーワードにして検索してみてください。

 当時、図書館で著書を借りて読んだことがあります。10年の違いはあります
が安保闘争と云う共通点に於いて、森田童子さんが共鳴した一人であることに間
違いないでしょう。
 その後、古書店で数冊購入しましたが、幾度かの宿替えで紛失してしまいまし
た。

 以上なのですが「森田童子自選集 友への手紙」をお持ちでない方のために、
このMC部分の全文を紹介しておきます。

「ラジオ、消しゴム、万年筆、新聞、腕時計、短歌、岸上大作、灰皿、マッチ、
4月1日、エープリール・フール」です。

 森田童子さんの歌詞に惹かれた方には、お薦めの歌人です。(^_^)

98年11月15日 金太郎

管理人様 このようなHPを開設くださいましてありがとうございます。

私が森田童子を知ったのは20年近く前の16歳のときでした。
今でもドップリつかっています。
ポリドール時代のレコード4枚、ワーナー時代の3枚、「高校教師」以降のベスト盤を
含む全作品のCD(これより以前に発売されていたグッドバイからカテドラルまでの
モノクロのCDジャケットのものは買いそびれているうちに「高校教師」が大ヒット
してしまった)そして「森田童子自選集 友への手紙」を持っています。
その「友への手紙」にはいっている「淋しい素描」の2番のあとにレコードにはない語
り(台詞?)があるんですが、何と言っているのか御存知の方いましたら教えてくだ
さいませんか。 「ラジオ、消しゴム、万年筆、新聞、腕時計、短歌、
○○○○○○○○、灰皿、マッチ……」の○○○○○○○○の部分です(その前の
「短歌」も怪しいんですが)。
このカセットテープを買って16年、何度繰り返し聞いてもわかりません。
このHPをご覧の方で御存知の方いましたらぜひ教えてください。 お願いします。

管理人様、このHPをこのような私事のために利用しようといたしまして申し訳ござ
いません 。 許されるなら伝言板の片隅に載せていただけませんか このHPのさら
なる充実を期待しています。 頑張ってください。

品田信昭

情報ありがとうございます。
ディスコグラフィに追加しておきます。

>スキャナ持っていませんので、ジャケット写真送れません(^^;
あしからず。

残念です。もし将来デジカメでも買うようなことがあれば
ぜひ、撮影して送ってください。

管理人 

偶然、このページを見つけました。

一番最初に森田童子を聞いたのは、
NHK・FMで「セルロイドの少女」ss
がかかっていたころで、高校生でした。

シングルレコード、俺の持っている3枚が
リストに載っていなかったので紹介します。

●「さよならぼくのともだち/まぶしい夏」ポリドール DR1989
●「ぼくたちの失敗/ぼくと観光バスに乗ってみませんか」ポリドール DR6060
●「セルロイドの少女/蒼き夜は」ポリドール DR6184

スキャナ持っていませんので、ジャケット写真送れません(^^;
あしからず。

それから、CDももう製造中止で手に入らないのがあります。
「夜想曲」のCD!誰か譲ってくれないかな〜

むらちゃん

童子を知ってもう20と何年。
40歳代になり、今思うと懐かしい思いです。
この間LPを久々に聞こうとしたら、回転数がままならず。
CDにするか・・・。

by 福岡→名古屋→東京→大阪→福岡→鹿児島 の会社員

インターねとをさまよっていたらこのHPを、偶然見つけ、森田童子さんさんのライブのVIDEOやレコードなどが聞きたくなったので、店に行ったところどこにも見当たりません。どなたかVIDEOやレコード、CDをダビングして譲ってくれる方はいませんか?お願いいたします。

mail ss@mail.isnet.ne.jp ネーム SS

「森田童子研究所」の管理人です。

>デシャバッテすいませんでした。

いえいえ、たいへん助かりました。
ありがとうございました。
訂正しました。また何か間違いがあれば、お願いします。

はじめまして。
森田童子、本当に良いですね。
早速ですけど、家のCDを見たら、マザー・スカイとグッド・バイの番号が入れ替わってますよ。
マザー・スカイ  CD:WPCL−746
グッド・バイ    CD:WPCL−747
が、正解です。
デシャバッテすいませんでした。
本当は、お礼が言いたかったんです。
楽しませてくれて、有難うございました。
<<<<<<<<<<<<<<<<<<<>>>>>>>>>>>>>>>>>>
        佐  藤      洋

いつもここおとずれるときは、
「なくなってたらどうしよう」て、どきどきです。

まわりのひとには、「いまさらなんで?」ていわれるけど、
森田童子のうた、だいすき。
はじめて聴いたのは「高校教師」で。中3のときだったな。
すきとおるような、おさないような、
そんな声に、あたしの涙腺はこわれた。

すきなうたたち
1. 逆光線
2.さよならぼくのともだち
3.サナトリウム
4.ぼくたちの失敗
5.蒸留反応
6.ぼくを見つけてくれないかなァ
7.G線上にひとり
8.春爛漫
9.蒼き夜は
10.菜の花あかり

蛍光燈のあかりがきらいなあたしは、ふだん
ろうそくのあかりでくらしてて、そのなかで
森田童子聴くの、すごくはまる。
そんなときよくわかる。いろいろのことが、あたしのまわりに
あるけれど、結局あたしは、ひとりなんだ、て。

そして、ホームページもつくってる。
http://pweb.sophia.ac.jp/~e-kimura/
森田童子のこともすこし。ほんとは、これをメインに
したいんだけど、なんか、てれちゃって。

歌詞も、コトバの選び方がすごくいい。
みみにすうってなじむ感じ。
彼女のうたは、文学的だとおもう。
文学作品のあじわいと、よくにてる。

あと、ぼくときみ。性別がわからない主人公たちの
あいまいな性の存在も、いいなー。

ほんとうに、かたり尽くせない、彼女の魅力。
このページをおとずれた、感性豊かなみなさんと、
もっとおはなししたいな。

あんず


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