1950年 京都市内に生まれる。
1969年 京都府立紫野高等学校卒業。SF研究会所属。3人組のフョークバンドを結成、ギターとボーカルを担当。
1970年 八ヶ岳コミューン、三里塚を経て「関西プロテクトフォーク」の一員として全国各地を巡業。
1972年 北海道に渡り、札幌に定住。
5月ソロライブ(京都ほんやら洞)
1973年 勤務のかたわら銀河画報社を設立。
1975年 漫画誌「銀河画報」を発行。
「謎の天体観測大会」開催。
1976年 初アルバム録音中にスタジオが倒産、マスターテープ消失。
「漫我駄」(設定・脚本・作画監督/湊谷夢吉 キャラクターデザイン・作画/志馬充 背景・その他/左京景)が北冬書房発行の「夜行6号」に再録。
1977年 映画「スバルの夜」(山田勇男監督)美術・演出・編集・音楽。
1978年 「夜窓」(山田勇男監督)美術・演出。
「惜夏記」を夜行7号に再録。
1980年 初の書き下ろし新作「文久二年の爆裂弾」を「夜行9号」に発表。以後「エロトピアDX」「スーパーアクション」「コミックばく」「コミックモーニング」に作品を発表。
「海の床屋」(山田勇男監督)構成・演出・美術・音楽
1981年 「家路」(山田勇男監督)音楽・演出・キャスト。「マルクウ兵器始末」夜行10号。「満州バニシング」夜行11号。
●「力量のある新人の登場・非商業誌に新しい資質を見いだす。梶井純」週間読書人・時評&展望5月1日号
●「叛意からのストレートな感性 湊谷夢吉の劇画とは? 杉浦俊太郎」読書北海道10月15日号
1982年 「銀河鉄道の夜」(山田勇男監督)脚色・美術・挿入歌・制作・キャスト。
中編「魔都の群盲」を「夜行12号」に発表。その力量で劇画界を震撼させる。「粗骨の果」エロトピアDX8月号。
1983年 「巻貝の扇」(山田勇男監督)共同演出・特殊効果・制作。
「活動屋番外地」エロトピアDX4月号。「鋼鉄の處女」エロトピアDX10月号。
1984年 第一作品集「魔都の群盲」北冬書房刊。
「アヤカシの大連」エロトピアDX6月号。
「悲しいガドルフ」(山田勇男監督)共同演出・制作。
●「夢をつくる 湊谷夢吉「魔都の群盲」 中村正明」美術手帳10月号
●「幻の漫画家・夢吉 迫力の作品集近く刊行(雲)」読売新聞9月10日夕刊
1985年 「青き零年」(山田勇男監督)音楽。
「ブリキの蚕」コミックばくNo7。「海岸綺談」銀星倶楽部No3。
「銀河画報社祭」開催。
1986年 第二作品集作品集「マルクウ兵器始末」北冬書房刊。
「虹龍異聞」(夜行14号)「蒼ざめた皇女を視たり」スーパーアクション9月号。「蛇神の血脈」エロトピアDX4月号。「ライプニッツの罠」漫画ゴラク1月10日号、1月24日号。
初のオールカラーの作品「銀河探偵局事件帖」をコミックモーニング増刊(講談社)に連載開始。
「銀河画報社祭2」開催。
1987年 「ボエオテイアの山猫」(山田勇男監督)共同演出
「無用の天地」エロトピアDX4月号。
足穂論「三日月をまわす機械」ユリイカ・稲垣足穂特集1月号。
1988年 6月7日 ガンのため38歳で札幌医大にて病没。
12月10日第三作品集「紅龍異聞」北冬書房刊。
●「活字にならなかった死亡記事・漫画家と民俗学者の死 山口昌男」本8月号
●「イメージの冒険者 故湊谷夢吉 寡作の中の”豊穣”の再発見 松枝至」 毎日新聞10月20日
1989年 「夜行16号湊谷夢吉追悼」発行。「君は1個のエクリチュールだった 松枝至」「湊谷夢吉のこと 管野修」「われもまた異国びと…梶井純」「銀河画報とバサラ 宮岡蓮二」「夢吉さんの思い出 南日れん」「緑色のハート 山田勇男」「浄土の光 花輪和一」「湊谷夢吉伝説 高野慎三」「YUMEKICHI SPIRITUAL MIND 尾原和久」「日記3/14〜6/7 湊谷雪子」
●「宮迫千鶴が読む 虹龍異聞 湊谷夢吉」産経新聞1月24日
●「飛行機と映画を共に愛した湊谷氏を追悼する シネアストとしての湊谷夢吉 西嶋憲生」イメージフォーラム3月号 特集ベストワン1988
   
1997年 湊谷夢吉作品集「虹龍異聞」「魔都の群盲」「ブリキの蚕」刊行、アスペクト刊。
1999年 湊谷夢吉歌集「トベトベヒカウシャウネン」(CD2枚組み)が発売。