いったいこれまで消えてしまった歌がどれほどあるのだろうか。何万曲ではきかないだろう。歌というのは食べ物や物語と同じように、人間が生きていくのに必要なもののひとつだ。何を大袈裟にと思う向きもあるだろうけれど、文化人類学をちょっとかじれば納得してもらえることだろう。歌は人間にとって、生きるための必須アイテムだ。
消えてしまったからといって、人間にとってどおってことはない。でも、それをワタシは「いけない!」と思った。だからこのCDがあるのだ。この歌は残さなくてはいけない。このまま雪子さんと「世界でたったふたりのイントロ当てごっこ」をするのも、それはそれでマニア心がキューキューと音をたてるほどの愉悦なのだけれど、それではやっぱりいけない。そう思った。折しも夢吉&雪子の息子である夏君がワタシの家に転がり込んでいて、酔っ払ってそんなことをほざいていると、「ピンポーン」と郵便屋さんがやってきたのだった。持ってきたのは10年前、今は亡きワタシの父がワタシの名義で積んでくれた定額郵便貯金。これが50万円ちょっとになっている。わお。思いもかけぬ収入ではないか。これはもう、夢吉CDをつくるしかないと咄嗟に思ったのだった。
ところが雪子さんから送ってもらったテープの音質の悪いこと。唖然とした。ノイズに夢吉さんの歌が埋もれてしまっているものもある。が、冷静に考えれば70年代のラジカセで録音したもの。悪いにきまっている。背後の雑音には赤ん坊の泣き声も聞こえたりして、これは「夏!、お前だろう!」「そうでしょうね」などとガタガタ言ってみても、夢吉本人がもう亡き今としてはしょうがないこと。テープに必然的に乗ってしまう「ヒスノイズ」については、このディジタルの時代の最善のテクを使って除去するとして、ひとつ勘弁ということでCD化することにしたのだった。ここらへんの事情については、そういうことなので御了承願いたい。
レイアウトについては、雪子さん夏君の強力推薦で北冬書房版『紅龍異聞』およびアスペクト版夢吉漫画再版3冊の装丁をされた伊藤重夫さんにお願いすることにした。これも快諾をいただき、感謝感激。もとよりお金は豊富にない自主製作CDだが、素敵なものにしていただいた。
曲順はワタシが決めさせていただいた。そもそもテープに残っている夢吉さんの曲を全部合わせると、CDいっぱいに収録したとして3枚を越える分量になる。そこで2枚に凝縮することにして、ワタシが「いい」と思うものを採用し、最終的には雪子さんと打ち合わせてこの26曲に決定した。
夢吉さんにとってはこれはあくまで「歌メモ」のつもりだったのだろう。CDにされて世の中に出されることは心外だったと思う。だが、出さなければ消えてしまう。亡くなってからもう10年以上を経過している。ワタシたちの裡の「完全主義者」湊谷夢吉というイメージが薄らいできたこともあるだろう。なんとはなしに、ここで出そうという気分になったのだった。
ブックレットの歌詞は、夢吉さんのノートの表記を基本にして、収録してあるヴァージョンに合わせて直した。だからテープの上では2番までしか歌われていないものでも、ノートでは5番まで歌詞が書かれているものもある。ここらへんについては、もし湊谷夢吉の歌をカヴァーしたいという人がいるなら、お教えしますので当レーベルまでご連絡をください。語句や漢字についても明白な間違いは訂正したが、収録した歌でのコトバを軸にして、夢吉ノートの表記を基本にした。
歌はあるのだが、ノートに歌詞だけしか書かれていないものもあった。DISC1の「(さみしいお前の影を)」とDISC2の「(朝方、窓辺が)」である。しょうがないのでインド歌謡曲よろしく、歌詞の最初を題名とさせてもらい、括弧でくくるという表記のしかたをとった。
さて、CDにプレスしたからといって、その歌が消えてしまうことを阻止したことにはならない。映画が上映されなければただのセルロイドの固まりであるように、歌も人に歌われなければ生き続けているとは言えない。今のところはワタシひとりが深夜、ヘタなギターをかき鳴らして鼻歌でうたっているだけなのだけれど、ゆくゆくは『夢吉ソングスカヴァーCD』なんてのも出せたらいい、と妄想していたりして。
CDついでに関連グッズとして夢吉Tシャツもつくります。価格は2000円。サイズはM、L、LL。そこまでしか決まっていないので欲しい方は連絡をください。さらに、湊谷夢吉研究ミニコミをつくりたい、とか、湊谷夢吉ホームページもつくりたい(パソコンないけれど)と妄想はひろがるばかり。協力してもいいよ、とか、自分ならこんなことができるけど、という人も連絡をください。
ところで、じつはワタシは夢吉さんの歌をナマで聴いたことがない。そんなワタシがなぜ夢吉ソングスに入れ込んでいるのかというと、夢吉さんと山田勇男さんとの銀河画報社映画倶楽部がつくった自主製作映画を、たぶん日本で(ということは世界で、いや銀河で)いちばん多く映写しているのがワタシなのだ。ちなみに「眼と眼の間に私が居る」は『スバルの夜』(1977、8mm、25分)、「夜窓」は『夜窓』(1978、8mm、20分)、「猫町」は『海の床屋』(1980、8mm、25分)、「TAHAKARETOKI」は『家路』(1981、8mm、25分)、「OUMAGATOKI」「永遠の灯」「糸姫」は『青き零年』(1985、8mm、30分)でそれぞれ使用されている。観たいですか? 観たいなら上映会を組んでください。暗闇と静寂と電源さえあれば上映会はどこでも可能です。上映機材は全部ワタシが車に積んで、映写技師も兼ねて出張上映をしましょう。まあ、フィルムや機材のレンタル料はいただくけれど。そうそう『家路』は夢吉さんが主演ですぞ。上映会をやってみたいという方はこれまた連絡をくだださい。
では、この夢吉CD、末ながく御愛聴いただければ幸いです。
|