笠井嗣夫
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1
するとその時 軒先に咲いていた紅椿が 花首を
析って下降した 流れ水に軽やかに身をゆだね一
回転するとスイと流れた―真崎・守「落下流水」
〈1980年11月28日夜、北海道教育文化会館大ホール。森田童子コンサート)
森田童子の歌をはじめて耳にしたのがいついかなる場所であったのか、具体的な情景はまったく気憶にない。気がつくと、『グッドバイ』『マザー・スカイ』『ア・ボーイ』という3枚のアルバムにじっと耳を傾けている自分がいた。おそらくそれまで無我夢中だった私の生にも70年代という時代にも、いいかげん底が見えてきた頃であったとおもう。
森田童子の歌をはじめて聴いたときのなにか奇妙な印象は、まだはっきりと憶いだすことができる。彼女の歌は、内容も歌い方も他のどんな歌手ともまったく異なる質をもっていた。
君の好きな強い酒
あぴるほどに 飲み明した
長い夜があった
淋しく二人眠った始発の電車
ただ陽射しだけが まぶしく
話す言葉もなかった
悲しく色あせてゆく青春たち
(「早春にて」)
ファースト・アルバムの冒頭の曲はこのように歌いはじめられる。「悲しく色あせていく青春たち」という1行は、歌詞としては平板としかいいようがないにしても、アルバムのテーマの提示としては、これ以外のことばがありえないほどぎりぎりのところで発せられている。みずからの「青春」への別れが、さまざまな具体的情景とともに歌われるのだ。たとえばこのようにやさしく、抒情的に。
みんな夕方になると 集まった映画館
すっかりさぴれてしまったけれど
今夜は久しぶりに 君とロックハドソンの
ジャイアンツでもしみじみ見たい気持だネ
(「センチメンタル通り」)
どこへ行くあてもなくぼくたちは
よく歩いたよね
(「淋しい雲」)
札幌でのコンサート会場で、主催者から渡されたチラシ掲載の「森田童子ラフスケッチ」によると、1952年青森に生まれた彼女は、68〜70年の学園闘争の激しい最中に高校生活を送り、高校を中退。72年夏、「ひとりの友人の死をきっかけに森田童子はめまぐるしく疾風のように通り過ぎていったいくつもの青春たちのかたちを振り返ってひとつづつ思い出すように歌いはじめた」という。
学園闘争、挫折、友人の死。激しさや深度は異なっていても、60年代半ばや70年代はじめの学生生活を送ったものたちにとって、これらのことがらはきわめて親しい体験であった。具体的な情景をともなってこうした体験が歌われるとき、森田童子の「青春のかたち」は、聴くものたちの青春のかたちと切なく重なりあう。
玉川上水沿いいに歩くと
君の小さなアパートがあった
夏には窓に竹の葉がゆれて
太宰の好きな君は 睡眠薬飲んだ
暑い陽だまりの中 君はいつまでも
汗をかいて眠った
あじさいの花よりあざやかに
季節の終りの蝉が鳴いた
君から借りた 太宰の本は
淋しいかたみになりました
ぼくは汗ばんだ なつかしいあの項の
景色をよく覚えている
(「まぷしい夏」)
私は森田童子よつちょうど10年はやく生まれているのだが、時間や場所こそ多少ちがっても、こうした唄はなぜかほとんど私自身の体験と重なってしまうようにおもえる。6畳1間の小さな共同アパート。カバーのとれた太宰治「人間失格」の文庫本。ハイミナールの真っ白な空き穀。そうした情景のなかで、汗をかいて眠る友人のそばにただ黙って座り込んでいた記憶が、蘇る。ひょっとして幻覚なのだろうか。だが、たしかにあれもまた、「暑い陽だまりの中」での情景であった。
仲間がパクられた日旺の朝
雨の中をゆがんで走る
やさしい君は それから
変ってしまったネ
さよなら ぼくの ともだち
(「さよならぼくのともだち」)
けれども、このアルバムでの森田童子の声そのものは、歌詞から受ける印象ほど暗いわけではない。まるで15、6歳の少女に戻ってしまったように、のぴかかに森田童子は歌う。その理由を私は詳らかに語ることはできない。ただ、ひとだけいいえるのは、みずからの経験を唄にするとき、彼女が自を「ぼく」に置き換えているということだ。彼女は決して「私」と発語しない。あるいは発語することができない。「私は」と語りはじめることが不可能ゆえの「ぼく」ヘの仮構。それによって、かろうじて彼女の体験はことぱとなりえた。唄のなかで呼びかけられる「君」のほとんどは、「ぼく」に仮構された私(=少女)の恋人ととることができる。つまり、〈物語〉といってもよいある種の仮構によって、はじめて森田童子は挫折感という「青春たちのかたち」をいくぶん甘美に歌い出すことができたのである。
2
1975年につくられた森田童子のファースト・アルバムには、『グッドバイ』というタイトルがつけられていた。このことには、すでに過ぎ去ってしまったみずからの「青春のかたち」ヘの彼女なりの決別の意志がこめられているとおもえるのだが、しかし実際にはそうはならなかった。「さよなら ぼくの ともだち」という別れのことばとは逆に、むしろなぞるように、あるいは抱きしめるように森田童子は「ともだち」と過去の体験を、「青春のかたち」と痛みとを歌いつづけた。そのとき彼女の歌声は、みずからの感性や情念の記憶にそって湾曲した暗闇の内側をそっと動いていき、決してそこから遠くへはいかない。
翌年のセカンド・アルバム『マザー・スカイ』は、すざてゆく時間の形象化をテーマとしている。李節の流れと自己の生との距離感。過去の記憶から現在の時間へと表現がどう渡るか。
あのドューユワナダンスで 昔みたいにうかれてみたい
あのドューユワナダンスで 昔みたいにうかれてみたい
(「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」)
目にしみるぞ
青い空
淋しいぞ
白い雲
ぼくの鳩小屋に
伝書鳩が帰ってこない
もうすぐ ぼくの背中に
羽がはえるぞ
朝の街に
ぼくの白いカイキンシャッが飛ぶ
母よぼくの鳩を撃て
母よぼくの鳩を撃て
(「伝書鳩」)
過ぎ去った時間はえってこないのだ。「いっしょに踊ろうよ」と声をかけあう友人たちはすでにいない。視えない多くの仲間たちへ向かって飛ぴ立っていったはずの〈伝書鳩〉も、もはや帰ってくることはないだろう。ついに帰ってこないだろうという苦い認識とともに、自分自身が鳩へと変身していく幻想を歌った「伝書鳩」の後半は、『マザー・スカイ』のなかでももっともすぐれた部分だとおもうが、しかしその切ない幻想さえも母という現実によって撃たれることを前提とせざるをえない。いやむしろ、鳩が帰ってこないのは〈母〉によってすでに撃たれてしまっているからである。このとき〈鳩〉とは、未来へ向かう時間ともあるいは希望ともいっていい。青い空が目にしみ、白い雲が淋しいのは、なにかがとっくに終わってしまい、喪失感としてしか残っていないせいだ。
ところで、森田童子にとっての〈伝書鳩〉の行方について、このあたりで多少ふれておく必要があるだろう。たとえばそれは、次のようなことばと無間係ではなかったにちがいない。
一切私達の意見あるいは行動というものをくみとることなく生きてきた人間達
に対して、私達は自らの人間性と感性とそして主体性を奪い返すために断固と
して斗いい抜いた(中略)。私達はそうした教師に対する反逆として、子供の
復権をかけて、高校生の主体性の奪還をかけて、そうした腐敗した教師集団に
対する斗いとしてす青高斗争を斗い抜いたことについて、今の時点ではっきり
とほこりを持って確認しておさたい。
(「裁かれるのは教師であり国家権力である」)
1969年10月21日、東京都青山高校において、「凶器準備集合、公務執行妨害、放火」の罪名で逮捕されたひとりの高校生の、東京地裁での最終陳述の一節である。もちろん、公教育が近代における帝国主義の生み出した馴致と管理の体系である以上、個々の教員・教官が意職するしないにかかわらず、教育が抑圧の場を形成していることは明らかだ。したがってみずからの「人間性」や「感性」や「主体性」をすでに存在しかつ奪われたと認識するかぎり、ここで彼が主張するように、それらを奪い返すために反逆し、たたかうという考え自体は基本的に正しい。
もちろん事態はそれほど明確なものではない。校舎を封鎖し、屋上を占拠し、機動隊に向かって石や火炎ビンを投げつけることで、人間性や感性や主体性が奪還されうるものでもないだろう。だが、世界とのかかわりを思想体系とも見紛がうある観念に凝縮し、その観念においてみずからの生を生きようとするものにとって、そういう醒めた認識はほとんど意味をなさない。重要なのは、自乙の抱いた観念をあくまでも生き抜いていくことなのだ。観念そのものを生きようとするこうしたラディカリズムは、究極的にはつねに敗北する。そしてそのこと自体も思想的にはさしてもんだいではない、といまの私ならおもう。観念とともに自滅し死ぬのではなく、(それといかに近似していようと)観念とともに生きることなど原理的に不可能なのだから。にもかかわらず私たちとは、不可能を生きようとする夢におもわず突き動かされてしまいうる存在でもあるとするなら、大切なのは、どの時点でいかに敗北を意識し、いかなる方法でどのように敗北を受容していくかということではないか。森田童子が、みずから生きようとしたラディカリズムをどうとらえていたのかはわからない。しかし、『マザー・スカイ』における時間を、敗死のプロセスを反芻する時間としてみることは可能であろう。
地下のジャズ喫茶 変れないぼくたちがいた
悪い夢のように 時がなぜてゆく
ぼくがひとりになった 部屋にきみの好きな
チャーリー・パーカー 見つけたよ ぼくを忘れたカナ
だめになったぼくを見て 君もぴっくりしただろう
あの子はまだ元気かい 昔の話だね
(「ぼくたちの失敗」)
「ぼくたち」は、戦略や戦術の次元で「失敗」したのではない。観念を生き抜くことに挫析したのだ。ここで観念とは、未来へ向けたひとつの幻想といってもいいし、自己と世界をめぐるひとつの物語といってもいい。仲間とともに生きるはずであった物語の破れ目を現在の時間がなぜてゆき、「ぼくたち」は、「ひとり」ヘと解体されていく。連帯を求めて遠くへと飛ぴ立っていった伝書鳩が、もう決して帰ってこないのだという絶望感の向こうに、母なる空(マザー・スカイ)が日にしみる青さで存在する。
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