*はるのぶう
*「はじめに」*****
私と森田童子との出会いは1993年TBSにて放映 されたドラマ「高校教師」の再放送の途中からという、あまり良い出会いとは言えませんが、彼女の歌声はそれらの障害をすべて拭きさるに値するものでした。
やはり、ブラウン管やCDを通して見聞きするのではなく、自分の目と耳とで彼女の歌声を聞きたかったものです。伝言版に書かれる大半の方は実際にライブなどで見聞きした方ばかりで、それを読むと、ただうらやましいかぎりです。
そんな私が彼女のことについてなにか書くにしても、無理があるので私なりの考えをここにまとめてみました。
題して[私的意見、森田童子・1993年の歌声]、読んでもらえれば幸いです。
*「現状把握」*****
では、ドラマ「高校教師」が放映された1993年、平成5年前後の社会情勢を、簡単に表したいと思います。
・1992年1月 ボスニア内線、そして4月にはロサンゼルスにて暴動があり、10月天皇、皇后が中国を訪問。その他として「貴花田、宮沢りえの婚約発表」「サザエさんの作者、長谷川町子死亡」「バルセロナ・オリンピックにて女子水泳平泳ぎ、岩崎恭子(14歳)優勝。女子マラソンで有森裕子が銀メダル」やはりメインは「ヤミ支配の終焉?、佐川急便事件」でしょう。
・1993年 1月皇太子妃として小和田雅子。6月「結婚の儀」。2月第42代大統領にビル・クリントン就任。5月日本最初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」始まる。7月北海道南西沖地震、津波により被害甚大。8月細川内閣が成立。10月冷害、コメ不足、コメ輸入。その他として
「角川春樹社長、コカイン密輸の容疑で逮捕」「環境保護団体「グリーンピース」がロシアの核廃棄物が日本海に大量廃棄されていると発表」
・1994年4月細川内閣、総辞職。同月、羽田内閣発足、6月総辞職。6月、村山内閣発足。同月天皇、アメリカを公式訪問。10月ノーベル文学賞に大江健三郎氏。
その他 「東京都昭島市の父親が息子に「悪魔」と命名して出生届けを出す」「学校にて、いじめが原因の自殺が増える」
・1991〜1994年の主だった流行「MUSIC&MOVIE」
・1991年 |
「SAY YES/チャゲアス 」「あなたにあえてよかった/小泉今日子」「oh!
yeah/ラブストーリーは突然に/小田和正」MOVIE 「ターミネーター2」「プリティーウーマン」「おもひでぽろぽろ」 |
・1992年 |
「涙のキッス/サザン」「ガラガラヘビがやってくる/とんねるず」「もう恋なんてしない/槙原敬之」MOVIE
「愛人・ラマン」「エイリアン3」「シコふんじゃった」 |
・1993年 |
「エロティカ・セブン/サザン」「真夏の夜の夢/ユーミン」「YAH YAH YAH/チャゲアス」「Make
up Shadow/ 井上揚水」
MOVIE 「ジュラシック・パーク」「月はどっちに出ている」 |
・1994年 |
「ロマンスの神様/広瀬香美」「イノセント・ワールド」
MOVIE 「学校」「シンドラーのリスト」「釣りバカ日誌6」 |
・流行と流行語
・1991年 |
「クレジット破産」「・・・じゃあ〜りませんか」 |
・1992年 |
「もつ鍋」「ほめ殺し」「カード破産」「きんさん、ぎんさん」
「ジュリアナ東京のお立ち台」「冬彦さん」 |
・1993年 |
「ひとつ屋根の下」「ダブルキッチン」「都合のいい女」 |
・1994年 |
「ブルセラ」「Jリーグ」「ヘアーヌード」「矢ガモ」「コギャル」
「UFOキャッチャー大流行」「リストラ」 |
@「総括」*****
「バブル」この文字が最初に使われたのは1990年平成2年の時でした。しかしその時、まさかここまで景気が落ち込んだ日本を想像できた人がいたでしょうか?。まず、いないでしょう。
そして1991〜1994年それは、衰退していく日本経済。それに拍車をかける「証券不祥事」「政治家汚職」「災害」「億単位の裏取引発覚」「イラク戦争」「いじめによる自殺」等々、まさに「世紀末」に向かっていく今の日本のひな形を作った時代なのかもしれません。
そんな時代のTVは、
・1991年 |
「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「夜も一生けんめい」「たけし・逸見の平成教育委員会」 |
・1992年 |
「ウゴウゴ・ルーガ」「セラムン」「ずっとあなたが好きだった」「おんなは度胸」「愛という名のもとに」 |
・1993年 |
「ひとつ屋根の下」「ダブルキッチン」「都合のいい女」 |
・1994年 |
「家なき子」「人間・失格」「春よ、来い」「開運・なんでも鑑定団」 |
次に野島伸司氏が手掛けたドラマを上げます。
・1988年 |
君が嘘をついた「パーティーで知り合った男女のラブストーリ」
主題歌/Get Crazy/Princess princess |
・1989年 |
愛しあっているかい!「ユーモアたっぷりの学園ラブストーリー」
主題歌/学園天国/小泉今日子 |
・1990年 |
すてきな片思い「女性心理を巧みに描いたラブストーリー」
主題歌/愛してるっていわない!/中山美穂 |
・1991年 |
101回目のプロポーズ「万年係長の熱烈アプローチ物語」
主題歌/SAY YES/CHAGE&ASKA |
・1992年 |
愛という名のもとに「大学卒業3年後、始まる愛と友情の物語」
主題歌/悲しみは雪のように/浜田省吾 |
・1993年 |
高校教師「女子校を舞台に教師と生徒との禁断の愛、レイプ、同性愛、近親相姦など、過激なエピソードが話題」 |
・1993年 |
ひとつ屋根の下「 両親を亡くし離れていた兄弟が一つ屋根の下で暮らし始めることで、心が通い合っていくドラマ」
主題歌/サボテンの花/財津和夫 |
・1994年 |
この世の果て「暗い影を背負う2人の幸薄いラブストーリー」
主題歌/OH MY LITTLE GIRL/尾崎豊 |
・1994年 |
家なき子「同情するなら金をくれ!」一人の少女の物語
主題歌/空と君のあいだには/中島みゆき |
・1994年 |
人間・失格「中学で自殺に追いやられた息子を持つ父の物語 |
これは野島氏の作品だけですが、これだけを見ても分かるように、1993年の高校教師を境にドラマの流れに新たな道筋が出来たように思えます。高校教師以前のドラマは、ごく普通の、典型的な、ハッピーエンドのラブストーリーがメインで、それはドラマの主題歌にしてもその傾向があり、キョンキョンの学園天国やSAY
YESといったアップテンポの旋律で、野島作品に限らず、「東京ラブストーリー」の小田和正や、古いので言えば「スクールウォーズ」や「プロゴルファー礼子」「熱っぽいの」等々、ノリの良さ、勇気の出る歌詞、その時代に合った歌い手、そして、「人気ドラマの主題歌はその時代をあらわす」と、誰かが言いましたが、まんざら嘘ではないように思えます。1992年に放映した、(題名は忘れました)名セリフの「冬彦さん」でさえ、ユーミンが「真夏の夜の夢」が主題歌で、高校教師以前の作品は90%と言っていいほど、主題歌か、ドラマの内容のどちらかが、明るい?(うまい表現が見つかりません)仕上げになっているように思えます。
私の個人的な意見では、「高校教師」は森田童子なしには成功はなかったでしょう。
スローテンポで進むストーリー、沈んだ世界観、病的なものと排他的な性質を背負った人々。そして、最終話を待たずにしても誰の目にも明らかな結末・・・・・。森田童子の世界観なしには成り立たなかったでしょう。
高校教師のヒットは、それだけ世間が共鳴したことのあらわれでもあり、それを待ち望んでいた社会、たとえば「自虐的」なものであったり、「破滅的」なものかもしれません。
高校教師以降の作品では、上であげたような要素を含んだ作品が登場するようになり、人間・失格の「自殺といじめ」、聖者の行進の「知的障害者をテーマ」など、それ以外にも、最後で主人公らが一緒に仲良く自殺する、といったのもあります。
「変革をもたらしたドラマ」そんな言葉が似合う作品と言っていいのではないでしょうか?
上記で「人気ドラマの主題歌はその時代をあらわす」と書きましたが、これと関係あるかは定かではありませんが、1994年一人の中学生が死にました。名前は大河内清輝と言います。いじめによる自殺です。これにマスメディアは過剰とも言えるほど敏感に反応し、連日連夜の報道の結果、2週間の間に同じような事件が2件おき、それ以後、こういった事件に関して報道が鈍くなった事実があります。
1993年7月7日には鶴見済著者の「完全自殺マニュアル」が刊行され世間の話題をさらいもしました。
よく世間では「死ぬ勇気があるんだったら、仕返しでもケンカでもすればいいんじゃない?」などと、アホなことを言う人がいますが(とくにテレビ関係)まさに偽善者の最たるものです。死にゆく者にとって、死と仕返しを量りにかけたとき、死ぬ方が簡単であり、楽なだけなのです。「なぜ、まわりの人たちに相談しなかったの?」「自分を変えようとすれば?」そんなことが出来るのだったら、自殺はしません。それができなかったから死んでいくのですから。
森田童子を聞く上で避けては通れない「死」の語りと、上記の「死」とは根本的に違うと思います。うまく表現できませんが、なにかが、違うと感じます。
昭和50年代の死と、平成時代の死との間にはなにか得体の知れないものがあるのでしょうか?私にはよく分かりません。
話は変わりますが、私は今28才です。彼女が活躍していた頃、鼻タレ小僧で、アニメの タイムボカンなど見ていました。昭和50年代といえば、安保闘争や三島由紀夫事件などと縁遠い時代ですが、彼女の歌詞は赤ヘルメ
ットの学生運動の頃を歌った歌詞であり、それが昭和50年代で受け入れられたわけで、それはその時代を(赤ヘル時代)生きた彼女の感情であり、心であり、叫びであり、それが受け入れられるのはさほど不自然ではなく、むしろ時代の流れを書き綴る歴史家のように、彼女の歌声は一つの時代の終焉を歌い上げた、そう私は考えます。
森田童子を生で知る方たちにしてみれば、なんのことはない事柄ですが、平成の彼女しか知らない私にとっては難しいことなのです。
大げさかもしれませんが、1993年、その歌声がもたらしたものは、現在の日本に少なからず影響を与えたという事実。
これからの社会のことを考えると、また、彼女の歌声は復活するのではと、私は思います。
@「最後に」
乱文になってしまいましたが、つたない文章をここまで読んで下さってありがとうございます。そして、こんな文章を載せて下さったことを感謝いたします。
では、これにて失礼いたします。
PS. ご感想がありましたら、h-gonta@t-cnet.or.jpまで。
平成11年3月21日 はるのぶう
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